【自閉症のラッパーに涙が溢れた】
文章はめちゃくちゃだ。けど表現せずにはいられない。
前に不可思議ワンダーボーイというラッパーのことを紹介した。僕の淡い不安のとおり、見てくださる方の反応はイマイチだった、いやあんまり観てもらえなかったのだと思う。それは悲しかったのだけれど、僕は彼のアルバムをダウンロードし、ドキュメンタリー映画を観た。そこには命を燃やすように生き生きと歌う彼がいた。最後に出てくるゴメスというポエトリーラッパーの雰囲気や動きが気になり、YOUTUBEで調べて観た。軽い気持ちだったのに。。。
LIFEという曲、そして人間失格という曲。そのどちらもで彼は自らが自閉症であること、その心の内面と痛みを表現していた。聴いていて嗚咽が出そうになった。心が痛い。なんだこの痛み。真正面からなんて受け止められないような痛みが詰まった歌で涙が出た。けれどね、その痛みはジンジンと僕の心にとどまったあとに、なぜか少しだけ僕の心を軽くしたんだ。痛みで心が洗われた、そうとしか表現できない。
世の中に感動はたくさんある。それは人の心を動かすことも、綺麗にすることもみんな知っている。けれどもこんなにも暗い、しんどい、痛みが誰かの心を洗うなんて、自分の心を洗うなんて思ってもいなかった。自閉症の子が勇気をもらったと、自閉症の子を持つ親が、子どもの気持ちがわかり涙が溢れたとコメントし、そしてこれを書いている僕は救われたように感じた。そして希望というか、自分の弱さというか、自分が越えられない一線というか、それを見せつけられた。
ゴメスは間違いなく表現者だ。それも正真正銘のオーガニックでナチュラルな表現者だ。そしてそれは不可思議ワンダーボーイのいのちをそのまま表現するようなパフォーマンスとシンクロするものがあると思った。
こないだ僕が書いて紹介した不可思議ワンダーボーイの「生きる」。彼についてこの詩を書いた谷川俊太郎さんが語る部分がある。
「彼がもう生きてないなんて感動しちゃうね。変な言い方だけど。生きることにはふたつあってね。ひとつは生きるという挙動。もうひとつは死を回避する行動。現代はほとんどの生が、この死を回避する行動になっている。しかしこの映像の彼は間違いなく生きる挙動をあらわしている。内側からくる思いがあらわれている。それが人の心を動かすんだね。」
内側からくる思いや挙動。。。
この言葉が僕の心に突き刺さった。痛い。表現とは何なのか。僕は旅を通して表現したいと言っている。伝えたいという言葉を使わなくなった。なぜだ。表現は自分を表すということだからだ、自分を表すことがまわりまわって誰かに届けばいい、誰かの心を揺らすことができたなら、なんて思っていた。けど今の自分は結局まだつくりものでしか表現することができない。出せないものが多すぎる。出せない臆病さがありすぎる。自分に嘘をついているのか。
彼らのように自分に向き合いたい。それをそのまま言葉にすることを怖がらなくなりたい。
それは生きた証を残したいのか、誰かに認められたいのか、それとも自分勝手なことなのか、そんなことはまだ分からないけれど。けれども自分を、ありのままを表現する勇気が欲しいとあらためて思ったのだ。