Earthquake

【メキシコ地震】

 

また悲しいニュースが入ってきた。今度はメキシコシティ近くを震源地とした地震。

震源から離れ揺れを感じていない僕は、日本の友人からの心配メッセージで地震が起こったことを知った。揺れる様子、建物が崩れる様子。児童のいる学校も倒壊していることを知り、胸が痛い。

 

メキシコシティでお世話になっていたホストファミリーの家は無事だったそうだ。しかし、周りの建物は倒壊したところもあるそうだ。安否確認をしながらも、自分の無力感、そして宿のオーナーに「これで荷物がまた遅れるんとちゃうんか?」と言われたときの、一瞬でも自分の心がそんな些細なことに奪われてしまったことにやな気持ちを覚える。まだ助かる命のある時間だ。ほんとうにひとりでも多くの人に助かってもらいたい。僕は祈りを信じている。

 

 

2008年の中国四川省、2011年の東北福島、これまで災害支援に2度関わらせてもらってきた。2011年の震災が起こったときは、僕にとって旅を続ける上で考えていた時期だ。半年の住み込みでの活動に加えて、1年間福島に関わった。そこでの気づきや学び、出会いを通して僕は災害支援に関する仕事につこうかと考えたこともあった。

 

ボランティアという認識は、この2つの活動を経験するまでは僕の中にはざっくりとしかなかった。

 

やれる余裕のある人がするもんなんだろう。

自分の関わりがある人が大変なときにしてあげたい。

自己満足なんだろうか。

 

けれどたくさんの方にお世話になって、滞在していた中国で地震が起こり被災地に向かい、

日本一周でお世話になった町が津波でやられ、僕は家を飛び出した。たくさん泣いて。たくさん笑って。たくさんの出会いをいただいて。そうして今の僕がある。

 

 

ボランティアの現場を通して僕が見出した意識は僕の人生の中心にある。

それはとてもまだ文章で表現できる自信が無いのだけれど、おそらくこの先の人生でも揺るぐことはないと思っている。僕は四川で、インドのマザーハウスで、そして東北の被災地でその意識に出会うことができた。これについてはまたいつか。

 

 

福島県新地町の災害ボランティアセンタースタッフとして活動したあとは、多くの講演に呼んでいただいた。そこで、僕は被災地の現状ではなく「僕が出会った人たちの物語」を話すことに終始した。なぜなら、テレビで取り上げられるドラマチックなものや悲惨なものばかりが被災地をあらわすものではないからだ。

 

家が流されてしまった、大切な人を失ってしまった人だけが被災者じゃない。あの津波は人々のつながり、仕事、生活環境、自然(放射能)、いろんなものを切り崩していった。あの震災を体験した全ての人にドラマがあるのだ。

 

だからこそ、僕はボランティアに訪れる人ににとっての被災地を「顔の繋がる土地」にしたかった。

 

被災地のためにボランティアに来た人の意識を

「あぁ今日は新地町の寺島さんのために僕は来たんだ。彼女のためにできることをしよう。」という思いにかえて現場に送り出したかった。そうしたら、ボランティア現場は全く違うものになる。個々でやって来たボランティアの意識がつながりひとつになる、現場に挨拶に来られた被災された方の表情がどんどん変わっていく。たくさんの声が生まれ、お互いに涙が流れたりする。

 

あかん、思い出しながら涙が出そうになった。

僕はあの場所で生きる本質に近いものを見せてもらったような気がする。受け入れていく人の力強さ。役割を見出していく子どもたちの姿。あの経験がなければ、今の僕はこうなっていない。

 

 

災害支援の活動も、今やっている旅も、僕の中ではすごい近いところにある。

どちらも生きる本質のようなものにアプローチしていくものだと思う。もちろん災害はとても悲しいことだ。けれども、大きな目で見たら災害も大自然の生きるうえでの何かのカタチなのだと思う。

 

とにかく今はひとりでも多くの人に助かってほしい。

祈ることしかできないけど。僕は祈ることを信じたい。