「違うこと」をするということ
待ち期間中のいま。
シュノーケリングで海に潜り、海で釣りをして、料理をする。
シュノーケリングと海釣りは、ほとんどはじめての経験。
なんとなく興味はあるけどキッカケがない、そんな誰もが感じるであろう
いくつかのことをちょこっとかじることができた。
海って生き物が住んでんやな。
魚って水のなかでほんまに日常を生きてんねん。
他の魚に混ざって泳いでいたり、ちょっと恥ずかしいやつはサンゴに隠れながらチラチラ見てたり。ほんで、藻を食べたり、キラッと体を横にしたり。
サンゴもサワサワなってる、ウニのトゲもウネウネ動いてる。
海を「住みか」としてなんとなく捉えきれてへんかったけど、海に潜って分かる
ようになった。ありがとう。
釣りをしたら考えるようになるんよな。
魚がどこでどんな風に泳いでるかを。深さはどれくらいにいるかなって。
エサはどんな風に動いた方がエサっぽいんかとか。
ほんで考えながらやるんやけど、ひょいとテキトーなことやったときに釣れたりするんよな。これって人生みたいやなーって昨日の料理のときに書いた。大袈裟やw
けどねーほんと。
違うことをするってほんと楽しい。
だって世界の見方がひとつ増えるんやもんな。
ほんでそれが増えたら、いろんな今まで自分に入ってこんかったもんが、
自分の中に入ってくるようになる。世界が違って見えるようになる。
「無駄なことはない」
って「がんばった証は消えないから」みたいに語られがちやけど。
もうちょっと深いとこなんちゃうかな。
なにかやってみた。という時点ですでに新しい感覚や体験が手に入ってる。
失敗した人は失敗した人の気持ちが分かる。病気や恋愛やそんなのもそうなんやと思う。
そんなこんなで、財布を盗られたおかげで新たなものを見せてもらっている。
もちろんまた家族やお金貸してもらった友達やに迷惑をかけてしまったけれど。
けど、そこからまた僕が新しいものを見つめて、それをちょっとだけでもお裾分け
できるかどうか。
違うことって、自分からアプローチもできるし、向こうからやって来ることもある。
さー、どう迎える?日々を。自分に届くものごとを。
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